華蓮の小径
蓮華の中を清らか心で参拝を
門前にて一礼。
山門をくぐると本堂までの参道は風に揺らぐ蓮華の小径となっております。
蓮の花は早朝に花開き昼には花弁を閉じます。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」と言われるように清らかさや聖性の象徴とされ、お清めの意味をもち、清らかな心で参拝いただけます。
門前にて一礼。
山門をくぐると本堂までの参道は風に揺らぐ蓮華の小径となっております。
蓮の花は早朝に花開き昼には花弁を閉じます。
「蓮は泥より出でて泥に染まらず」と言われるように清らかさや聖性の象徴とされ、お清めの意味をもち、清らかな心で参拝いただけます。
ご本尊聖観世音菩薩が安置されています。
参道を上り本堂正面には「十三佛花蓮の庭」を模した手作りのステンドグラスが設置されています。
陽の光のより十三佛花蓮は様々な色彩を放ち参拝者を瞑想の世界へと誘います。
十三佛とは冥界の審理に関わる十三の仏で十三回の追善供養(初七日~三十三回忌)をそれぞれ司る仏様としても知られております。
※十三佛とは
不動明王・釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩・地蔵菩薩・弥勒菩薩・薬師如来・観音菩薩・勢至菩薩・阿弥陀如来・阿閦如来・大日如来・虚空蔵菩薩
遠州三十三観音霊場32番札所
御詠歌 : あめつちに ならいたまいし ひびのみち よろずのものや つどいほしけく
本堂の隣に祀られている白龍頭観音は遠州三十三観音霊場の第32番札所の本尊となっております。
大正時代、ある行者の「この土中には観音さまが埋まっておられるので、すみやかに掘り出して供養なされるがよい」との予言により草ヶ谷の観音坂をより掘り出された観音様でその地主の病は癒え、商売も繁盛したと云う。
観音様は香勝寺の境内に安置されていましたが昭和52年2月18日、開山の朝霧の中に、突然「人心同仏」と仏法根元の教えが、文字で描き出され、同年6月26日夕刻、現住職の寺族の眼前に、白龍頭観音はお姿を現わし、又58年8月1日には、現住職の口を借り「人の苦しみは、自分を可愛がる心が元」と、お示しになり、以来 白龍頭観音の預言の寺として、縦横無尽にその神通力を、お使いになられ、人々の諸々の苦しみを和らげて下さる功徳無量にして霊験あらたかな観音さまとして、信仰する人々も多く、安らぎへの道に進むもの多いといわれております。
観音堂前には煩悩を取り払う大念珠があり、心静かに念じながら大念珠をゆっくりと引き上げ、8個の数珠玉を1つずつ落とします。
その時にカチリと音がして、煩悩が取り払われ開運に繋がるとされています。
今の世、人々の疫病平癒の祈りや、安らかなくらしへの願いを機に、白龍頭観音堂には「十三佛のステンドグラス」を、参道には「十三佛 如来幡」を掲げ参拝者の皆様を安らぎの心へとお導きをいたしております 。
「如来幡」は仏様の幡として十三佛を表し十三色で彩られ、風に揺らぎ参拝者を白龍頭観音様へと誘い、堂内では陽光に映し出されたステンドグラスの十三佛が瞑想の世界へと誘います。
十三佛如来幡は、ききょうの花の開花にともない6月初旬より8月 31 日まで掲げられ、ききょう寺の夏の風物詩としても参拝者に安らぎの時間を与えてくれます。
「幡(ばん)」は、昔より仏様を敬い感謝の意を表すために貴重な布を捧げたことに由来しています。 現在では幢幡(本堂内に捧げてある長さ 1.5m 程の金色の飾りや五色幡、祈願端、葬送幡に通じています。
境内園内には微笑ましい表情をした童地蔵が所々に置かれ、訪れる人々を優しく迎えてくれます。
この童地蔵の横に書かれた表札には、「和尚のひとり言」として様々な文言が書かれています。
ききょう園を訪れた方々にこの一言が功徳になればと願ったものです。
ききょう園の中段斜面を少し上ると木々の囲まれた中に「恋愛成就観音」と呼ばれる白い観音さまが祭られています。
「この観音さまに参拝すると、ご利益がある」と年々参拝者が増えています。観音さまの隣には鐘つき堂があり、吊るされている「至福の鐘」は、誰でも自由に撞くことができます。鐘は小さいけれどよく響き残響が心に沁み入ります。
この鐘と観音さまの間には、参拝したカップルやご夫婦などが「離れられないように」とかけた鍵が残されています。
園内中腹には戦国の武将「武藤刑部一族」の墓が祭られております。
武藤刑部は森町一宮にあった真田城に居城していた豪族で、小國神社の武家神主をしていたほどの名家です。武田信玄に仕えていたので、真田城は徳川家康によって落城。最後は掛川の高天神城で戦死したそうです。
ききょう寺では遠州三十三観音霊場32番札所白龍頭観世音菩薩とかわいい童地蔵の御朱印の2種類のタイプをお授けいたしております。 ききょう寺参拝の記念にききょうの文様をあしらった御朱印帳も人気です。